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にんげんをそだてるということ、そのほか

なんもないない

私はなんにも持っていない。

ほんとにほんとに可愛い娘と、心が広くて毛むくじゃらの夫がいるが、彼女らは私のものではないのでカウントされない。
趣味は釣りだの読書だの買物だの音楽だの旅行だの料理だのいろいろやるが、育児の合間に残った僅かなHPを削ってまですることや、Twitterでアツく語れるほどのものはない。
それだけで他人を操れる綺麗なお顔も、日々をユーモアに描く画力や彩るセンスもない。
強いて言えば、この前便にちょっと血が混じっていた。最悪だ。内臓に爆弾を持っている。

なんにも持っていないと、育児とギリギリ許容範囲の家事で押し流されていく毎日の隙間でふと死にたくなることがわかった。
よく、ニートニートで居続けるには才能がいる、途中で不安に押しつぶされてしまうから、とか聞くが、まあまあまあ、よくわからんけれどもそれに似ているかな〜と思っている。
自分だけ取り残されていく感じ、前も後ろも真っ暗で見えない感じ、逃げられない重責、結果は見えずただただ降り積もる疲労
「育児が辛いなんてわかってたことだろ、産んでおいて今更何を」も、よく聞くが、育児が辛い(こともある)というのは知識としては知っていたけど、やっぱり経験してみないとわからない仄暗さがあるもんなのよ、育児だけじゃなくね、物事には全部ね。

まあそれはおいおい、とにかく、そういう中にいて、うっかり自分の期待をもりもりに娘にのせそうになっちゃうことがあると気付いた。
私には何にもない、が、私には娘がいる、この子には習い事をさせて、歯並びを矯正して、勉強をたくさんさせて、資格を取らせて、たくさんの体験をさせて、脱毛をさせて、エトセトラ。
それらは決して悪いことではないけれど、「私が空っぽで虚しいから、私の空洞を娘のキラキラで埋めてしまおう」が動機のひとつだと、きっといつか皆不幸になってしまう。
そもそも冒頭で書いたように、娘は私のものではなくて一人の人間なので、隣の家の女の子に私の思う人生を歩かせられないように、悪く言うと操るようなことは絶対しちゃだめなんだ。
娘が望むのなら娘のために、というスタンスは、親として絶対に忘れたくない。
と、当たり前のことを憎々しげに書いたが、とにかく自分の空洞は自分で埋めねばなるまい、ということ。

自分の空っぽを埋めるのに繋がるか繋がらないかはさておき、思考の整理と文章で自分の考えを表明するリハビリのため、とりあえずブログをはじめてみた。
0日坊主にならないよう、取り急ぎこれを置いておく。
目標は最低でも一週間に一回更新、たかがブログでも続けられたらちょっとは足もとが明るくなることもあるでしょ。

言いたいこともまとまっておらず、まるでチラシの裏に書きつけたような記事だけどおしまいおしまい。あー頑張った、よくかけたな自分!これからも一緒に頑張ろうな。